長かった冬が終わり、大教会でも桜が綻び始めました。日に日に暖かくなるにつれ、心がうきうきしてきますね。
4月18日には、ご本部で教祖誕生祭が執り行われます。今月のちくしじでは、教祖のひながたを振り返り、現代の私たちの在り方について考えてみたいと思います。
さて、教祖がお生まれになったのは今から224年前の1798年。江戸時代です。そのころの日本には「士農工商」と呼ばれる身分制度がありました。天皇、武士、農民、商人の順番で偉いというもので、上に逆らったら殺されても文句は言えないという、厳しい世の中だったのです。
有権者が富と権力を独占する一方で、力のない農民や、「えた・ひにん」と呼ばれる部落の人々は強い差別を受けていました。そこに度重なる飢饉や伝染病の流行が起こり、貧しい暮らしは限界に。打ちこわしなどの「下剋上」が各地で起きました。政治を変え、階級による差別を無くし、平等な姿を目指そうとしたのです。
教祖は、そうした時代と共に歩まれました。教祖が嫁入りした中山家は、名字帯刀を許された裕福な家柄でありましたが、教祖が月日のやしろとなられた後は、「表門構え玄関づくりでは救けられん」として、自らの財産を貧しい人に分け与えると共に、身分の低い者が行う野菜や薪の行商、針や読み書きの師を行なって、貧しい者と同じ立場に立たれました。
おふでさきでは
高山にくらしているもたにそこに
くらしているもをなしたまひい(13-45)
この木いもめまつをまつわゆハんでな
いかなる木いも月日をもわく(7‐21)
として、差別に対して異を唱えられました。身分の高低も、男女差別も必要ない。人は皆等しく同じ魂であって、本質は平等である。人類が兄弟として互いに助け合う「ろっくの地」に踏み鳴らすと、人間の平等性を説かれたのです。
もちろんそうした思想は、江戸時代の人々にとって革新的なものでしたが、権力者からは煙たがられ、投獄や罰金などの迫害を受けました。しかし教祖はその生涯を通して、世の人々に平等を訴えかけ続けたのです。
その姿はまるで、民衆を導くジャンヌ・ダルク、組織の腐敗を指摘するルターのような、民衆の救済者だと感じます。
…さて、話を現代に戻しましょう。
最近では、ロシアのウクライナ攻勢のニュースが連日メディアを騒がせるようになりましたね。
政治の詳しい事は分かりませんが、罪のない一般市民が苦しんでいたり、子供たちが悲しい思いをしているのを見ると、胸が痛みます。彼らはただ幸せに生きているだけなのに、どうして巻き込まれないといけないのだろう、と、憤りが沸き上がってきます。
そしてそのたび、あるお坊さんの話を思い出します。
「これまで人間は、国と国に分かれて、戦争を起こしてきました。しかし、ひとたび飛行機に乗って下を眺めれば、そこに国境という線はなく、ただ地面と海と、人がいるだけ。国というのは、人間の心の中にしかない妄想なのです。犬の目から見れば、そうした妄想によって争い合っている姿は理解できないでしょう。」
私は、教祖のお心はここにあるのではないかと思います。あの人が上で、私が下だとか、あの国が悪くて、この国が正しいとか、そんなものは人間の頭の中にしかないルール(人間思案)であり、普遍的なものではありません。
人の都合によって身分の上下や思想の右左を分けてしまうと、虐げる側と虐げられる側が生まれる。そこに争いが起きるのは必然ではないでしょうか。
教祖はそうした「へだて心」を嫌い、「誠」の心になるよう説かれました。つまり理屈を抜きにして、目の前の人間の苦しみに寄り添い、兄弟のように助け合って暮らす、実誠のある世の中に変えていく事を求められたのです。
神の子供であるから、何処に隔ては無い。銘々隔てねばならんというは、一つの心である。(明治二十年 おさしづ)
この道は皆兄弟やという理を聞かして置こ。なれど、隔てられるも隔てるも、皆銘々の心通り。兄弟という理を聞き分け。(明治二十一年 おさしづ)
どんな者こんな者、者区別は無い。並んで居る者皆兄弟、一家内なら親々兄弟とも言う。それ世界中は兄弟…(明治三十二年 おさしづ)
とはいえ、私たちの周りも例外ではなく、現代にも上下や左右によって利益が生まれ、それによって生計を立てている人がいます。一度出来上がった環境を変えることは、容易ではありません。
しかし、それによって他人が苦しんだり、悲しい思いをするのならば、それは「欲」であって、親神様から見れば悲しい事でしょう。変えて行かなければならない部分だと思います。
まずは自分から全体を見渡す目を持って、へだて心を無くしていく事が、「誠」「なるほどの人」に至るために大切な事ではないでしょうか。
現代社会の問題点に教祖のひながたを活かす事、そのために考え続ける事が大切だと思うのです。
さて、4月18日は、ご本部で教祖誕生祭がつとめられます。皆で参拝し、224回目のお誕生日をお祝いさせて頂くと共に、教祖のひながたを振り返らせて頂きましょう。
おぢばで、皆様のお帰りをお待ちしております!
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